自性寺・大雅堂

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公開日 2011年10月01日 00時00分

自性寺
 

概要

 自性寺は奥平藩歴代の菩提寺です。藩祖信昌公が、三河新城にいた時、金剛山万松寺と称して創建。その後いく度か藩の転封に従い、移り、1717年(享保2年)、6代藩主昌成公の時、中津に転封。1745年(延享2年)、自性寺と改称します。
 12世提洲和尚が、1764年(宝暦14年)、住職として赴任の途中、京より、池大雅夫妻を伴い、自性寺にきました。池大雅は、九州の美しい景色にふれて、自由に筆をふるいました。これらの書画は1778年(安永7年)、書院の襖に貼られます。後、十代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げてから、この書院を「大雅堂」と呼ぶようになりました。
 南画の大家、池大雅が滞在。その書画47点が保存、展示されています。

【池大雅】

 池大雅【いけのたいが 1723年(享保8年)-1776年(安永5年)】 は、江戸時代中期の画家であり書家です。「大雅堂」、「三岳道者」、「霞樵」など、多くの号を持っています。池大雅は、1723年(享保8年)、京都に生まれました。4歳の時に父を亡くし、母と二人で暮らしますが、「神童」と呼ばれるほど、幼い頃から漢文や書道に優れた才能を示します。15歳で扇屋を開き、扇子に絵を描いて生計を立てていました。
 後に柳沢淇園(やなぎさわきえん)の教えを受け、当時舶載の木版画譜によって中国南宗画を学びます。また、中国絵画の影響を受け、筆の代わりに指を用いて描く指頭画も残しています。池大雅は、さらにそこに日本伝統の大和絵、琳派や西洋の表現法などを取り入れた独自の画境を打ち立て、与謝蕪村とともに日本の文人画の大成者といわれています。
 彼の画法が完成するのは40歳ごろのことで、この頃に描かれた作品の中に、特にすぐれたものがみられます。大雅堂の作品の多くもこの頃に描かれたものと考えられています。彼の代表作には、高野山遍照光院の襖絵や、「十便図」「楼閣山水図」などがあります。
 池大雅は、1776年(安永5年)、54歳で没しました。なお、妻の池玉蘭も、画家として活躍した人物です。彼の門人には、青木夙夜、木村蒹葭堂などがいます。

 
詳細情報
所在地 〒871-0048 大分県中津市新魚町1903
営業時間・定休日 開館時間:午前9時~午後5時
休館日:年中無休
利用料金

「大雅堂」
観覧料:
高校生以上/500円(団体15人以上400円)
中学生以下/300円(団体15人以上250円)

中津城・福澤旧居共通観覧券をお持ちの方は2割引

障がい者手帳をお持ちの方は100円引(共通観覧券と併用できます)

お問合せ先 自性寺 TEL:0979-22-4317
 

地図

自性寺

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お問い合わせ

企画観光部 観光推進課
住所:〒871-8501 大分県中津市豊田町14番地3
TEL:0979-22-1111
FAX:0979-24-7522
備考:迷惑メール防止のため @ は _アットマーク_ と標記していますので変更してください

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