官兵衛の町づくり

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公開日 2015年11月10日 14時04分

現代に残る黒田時代の町名

 
黒田官兵衛縄張り図
黒田如水縄張図
 左は「縄張り図」と呼ばれるものです。縄張り図とは築城の際に設計図で、左の「黒田如水縄張り図」は、まさに官兵衛が天正16(1588)年に、中津城の築城を始める際に使われたものです。
 図の中には兵衛が姫路から一緒に連れてきた商人たちの町「姫路町」や、京都・博多の商人らが移住してきたと言われる「京町」「博多町」など、今現在も存在する町割りや町名などが見られることから、現代のまちの区画の基礎は黒田時代に由来するものだということがわかっています。
 
 
 

黒田時代の町割り

 
中津城下絵図
中津城下絵図(吉本家)
 左は上の縄張り図よりも、より細かい情報が書かた、今の住宅地図のようなものです。
 官兵衛の時代、城下町は城を守る堀と同じ役割も担っていたため、城に向かって一直線に進む道を排除したり、鈎の字など、城が攻められた時には、町の区画が少しでも敵の進軍の障壁になるように設計されていました。
 現在残る旧中津城下町の町割りは、小笠原時代の承応(しょうおう)元年(1652)頃にほぼ完成したといわれています。
しかしながら殿町で行った発掘調査で、黒田時代の家の境(溝)が確認されました。この家の境は幕末の絵図と一致し、さらに幕末の絵図の町割りは現在の町割りとほぼ同じです。このことから、現在の城下町の町割りは、黒田時代の町割りを踏襲していることがわかりました。
 
 

地図

中津城と城下町

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