(其の1八面山縁起より) 大宝元年(701年)八幡大菩薩が衛生済度のため如意宝珠(一切の願いごとがかなえられる)を英彦山権現より賜ろうと思い、宇佐の小倉山から英彦山に行った。そこへ法蓮(八面山開基の僧にあって、当時英彦山で修行)が来て「私はまだ宝珠を見たことがない」という。権現が珠を見せようと法蓮の前に置くと、八幡に奉仕する翁が出て来て珠は私に渡してほしいといって、欺いて持って逃げたので法蓮は大変怒り「諫山郷南の高山(箭山)まで追いかけ大菩薩を大声で問責するとその声が伊予(四国)石鎚山まで聞こえた。大菩薩は金色の鷹となり金色の犬(翁)を召しつれて飛んで帰って来た。そして八面山の大きな岩の上で話し合った。「私は八幡大菩薩である。私に宝珠を渡すなら、宇佐に乗迹のときは、神宮寺別当に任ぜよう」というので法蓮は和与(和解)した。そして八幡は永く宝珠を得ることができ、法蓮も神宮寺の別当となった。この話しあいをした大きな岩を和与石と呼んでいる。 (其の2 三光村誌より) 八面山の和与石のことを、地元では和号(わごう)石・評定(ひょうじょう)石と呼んでいる。この石には、八幡大菩薩と法蓮の伝承があるが、次のような話もある。 大昔、箭山の神とヌーバル(十文字原)の神がいて、二人は仲が良かった。ある日ヌーバルの神が箭山に来た。二人は大石に腰かけて、今まで共同所有していた石と湯について、どちらがどれを取るかということで評定した。ヌーバルの神は、地元の箭山の神に「あなたから先に」というので箭山の神は石を取った。ヌーバルの神は、石が欲しかったのであるが、仕方なく湯を取った。こんなことがあってから、ますます二人は和合の渡を深めていった。その時腰かけた石がこの和与石であるという。現在、八面山に巨石が多く、別府に湯が出るのは、二人の神の評定が基になっている、という。
(其の1八面山縁起より)
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