大江医家史料館/中津の医学・蘭学史

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公開日 2011年10月01日 00時00分

最終更新日 2016年07月01日 11時44分

 

前野良沢・杉田玄白・中川淳庵らは、明和8年(1771)3月4日江戸小塚原で解剖を見学し、翌日より中津藩中屋敷の良沢の住まいで『ターヘル・アナトミア』の翻訳に着手しました。4年後の安永3年(1774)一応の翻訳が終わり『解体新書』として刊行されました。この翻訳事業は、現代の医学のみではなく、日本のすべての科学の源流であり、日本の科学史はここから始まった、とさえ言われています。今その地には、「蘭学の泉はここに」と刻まれた蘭学創始の記念碑が建てられています。その碑の横には、同じ中津藩士の福沢諭吉が創立した「慶応義塾発祥の地」の碑も建てられています。


中津の蘭学は、前野良沢に始まり福沢諭吉の頃を最後として終わりますが、その間、多くの蘭学者・蘭方医を生み出しました。シーボルトと面会したいがために45歳で隠居した中津藩主奥平昌高は、自身蘭学を学び、家臣の神谷弘孝(源内)に命じて『蘭語訳撰』(1810年刊行・日本語→オランダ語辞書・7072語収録)、次いで大江春塘に命じて『中津バスタード辞書』(1822年刊行・オランダ語→日本語辞書・7249語収録)を刊行しました。この2冊の姉妹辞書は「中津辞書」と呼ばれています。前野良沢の次世代ともいう時期に「ズーウ・ハルマ」にさきがけ豊前中津藩で日蘭・蘭日辞書が刊行された意義は極めて大きいものがあります。


文政2年(1819)村上玄水が、中津で九州最初の人体解剖を行っています。その他にも、多数の蘭学者・蘭方医や華岡流を学んだ大江雲沢などが活躍しました。明治に入ると、日本で最初の洋式歯科医小幡英之助、外科学のパイオニア田代基徳、整形外科の開祖田代義徳、心臓の神経伝導系に関する研究で有名な田原淳などを輩出しています。 

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