今津の遺跡・文化財

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公開日 2015年01月26日 00時00分

最終更新日 2018年10月04日 10時02分

県指定文化財
■植野貝塚 (うえのかいづか)
 縄文後期の貝塚で、土器をはじめ、自然・人工遺物などから当時の生活を知ることができます。地元では「かいがら坂」と呼ばれていました。

 
植野貝塚
植野貝塚の看板
 

■植野神楽 (うえのかぐら)
 若籏神社(わかはたじんじゃ)に伝わるもので、伊勢能楽(いせのうがく)を源流とし、豊前岩戸神楽(ぶぜんいわとかぐら)の宗流です。湯立(ゆたて)・神阪(神栄:読み、かむさか)・年回(ねんかい)にわかれ、各々33番で構成されています。
 神楽は47種類の舞い方があり、毎年12月31日の大晦日(年越しの夜)と4月29日の春祭り(昼間)に開催されます。

 
植野神楽の様子1
植野神楽の様子2
 

市指定文化財
■長峰尾(野依)烽火台 (ながみねお〔のより〕のろしだい)
 文化4年(1807年)、異国船に備えるため中津藩が領内に3ヶ所(長峰尾〔ながみねお、中津市野依〕、雄熊山〔おぐまやま、現上毛町〕、大蔵山〔おおぞうさん、現宇佐市〕)設置した烽火台(のろしだい)の一つで、焚口が現存する貴重なものです。

 
長峰尾烽火代 1枚目の写真
長峰尾のろし台上から
長峰尾烽火代 2枚目の写真
長峰尾のろし台煙道口内側から
 

■犬丸天満宮の照葉樹林 (いぬまるてんまんぐうのしょうようじゅりん)
 昔、付近一帯はカシイの森林でしたが、農耕の発達とともに伐採されていきました。幸いにも、犬丸天満宮の周囲だけが今日まで保存されています。大切に守っていきましょう。(コジイやイチイガシの植生が観察できます。)

 
犬丸天満宮の照葉樹林 1枚目の写真
犬丸天満宮の照葉樹林 2枚目の写真
 

その他
■菅公御着船の旧跡 (かんこうごちゃくせんのきゅうせき)
 延喜元年(901年)、大宰府へ左遷となった菅原道真公の船が暴風に遭い、今津の「泥の入江」に入ってきました。この入江は難破(なんぱ)川または三筆(みふで)川といわれ、道真公は江極(えごく)の岸に上陸したと伝えられています。

 
菅公御着船の旧跡 1枚目の写真
菅公御着船の旧跡 2枚目の写真
 

■夜泣きの松跡 (よなきのまつあと)
 今はありませんが、昔、ここに大きな松の木があり、その松葉を持ち帰って寝床の下に敷けば、小児の夜泣きが止まったと伝えられています。野依の上往還(おうかん)、勅使街道(宇佐神宮へ向かう勅使が通った街道)沿いにあります。

 
夜泣きの松跡 1枚目の写真
夜泣きの松跡 2枚目の写真
 

■東宮駐賀の石碑 (とうぐうちゅうがのせきひ)
 大正9年11月、豊前平野を中心に陸軍特別大演習が行われ、当時の皇太子裕仁親王(昭和天皇)が、犬丸平野の攻防戦を台臨されたときに使用した椅子を埋め、記念の石碑を建てたと伝えられています。

 
東宮駐賀の石碑 前面
東宮駐賀の石碑 後面
 

■御大典の石碑 (ごたいてんのせきひ)
 天皇の即位式を「御大典」といい、これを記念して「在郷軍人会尾紀村分会」が建立したものです。「御大典」は、大正3年と昭和4年に執り行われていますが、年号の記載がなくどちらかは定かではありません。
※この石碑は、「尾紀村」役場のあった現在地に建立されましたが、その後の「桜洲村」との合併で誕生した「新昭村」役場(現:地域活性化室)敷地内に移設されていました。今津コミュニティーセンターの新設に伴い、平成27年1月、今津公民館(現:地域活性化室)敷地内から元々の建立地に里帰りしました。
中津の旧町村名と合併の歴史を見る

 
御大典の石碑 前面
御大典の石碑 銘

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TEL:0979-22-1111
FAX:0979-24-7522
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