公開日 2025年08月20日
6月に慶應大学の講義でスピーチを行いました。「近代日本と福澤諭吉I」と銘打った授業で受講するのは、1、2年生約3百人の私にとって孫世代。全員手元にノートパソコン、授業風景は様変わりしたものです。
演題は「福澤諭吉と学びの里中津」。受講生の大半は中津を知らないため中津市の特徴を紹介。ソフトに「中津からあげ」から切り出し、諭吉の言葉入りの県体中津チームのユニフォームを着て「福澤のまち中津」を印象付けます。続いて中津市と福澤・慶應との関係、「不滅の福澤プロジェクト」の取組みを説明後、福澤の著書に対する私自身の捉え方とその意義を述べました。
まずは12か国語に翻訳された『中津留別の書』。明治3年諭吉が中津の母を東京に引き取る際に書かれた短文です。一身独立、男女平等、夫婦や親子、学びの大切さを訴えたうえで「人誰か故郷を思わざらん」と中津愛で締めくくります。諭吉にとって中津は心の葛藤はあったが、かけがえのない存在、私はこの書を中津への「ラブレター」と理解し返事を書きたいと申し上げました。
次に明治9年の『分権論』。国と地方の役割分担のあり方を記し、今でも地方自治体にとって大きな励みになります。現代の人口減少と東京一極集中は「地方不安・東京不満」の世の中になっていないか。自然災害が頻発し激甚化する中、多極分散型国土の形成を進めることが必要でないか。地方は自然と食が豊かで、住む幸せを感じ人間としての居場所として注目すべきではないか等々指摘し、国と地方の関係への思いを開陳しました。
結びは中津のPRと学生への期待。「福澤の故郷中津は多様な魅力を持つ住みよい所、是非現場に来て直に見てほしい、そして自主研究やフィールドワークを行い日本の活性化を考えてほしい」と。中津で会うのが楽しみ!
- 講演中の様子
(市報なかつ令和7年9月号掲載)